明晰で秩序立った空間構成のなかに、えも言われぬ静謐さが漂います。これは、中世の『黄金伝説』に記述されている、キリスト磔刑に使用された聖十字架発見の場面なのです。
313年、コンスタンティヌス大帝によってローマ帝国内でキリスト教が公認されると、皇帝の母ヘレナはキリスト教の普及につとめました。彼女は、生地エルサレムに聖堂を建立し、そしてそこで、キリストの十字架を発見したと言われているのです。
十字架のありかはユダという名の男が知っていましたが、どうしても秘密を明かさないため、ヘレナの命令で涸井戸に投げ込まれます。そしてとうとう、飢えに勝てなかったユダの証言で、ゴルゴダの丘に立てられた三本の十字架が掘り出されるのです。しかし、三本のうち、どれがキリストの磔刑に使われたものかが判明しなかったため、ある若者の遺体に順番に近づけてみることにしました。すると、聖十字架に触れるや否や奇跡が起こり、若者の遺体は甦ったのです。
この神秘的な瞬間を、画家は幾何学的な建築を配した穏やかな情景の中に描いています。いかにも、遠近法や数学に造詣が深く、『絵画の遠近法』などの著作も残すピエロ・デラ・フランチェスカらしい、独特な静けさに満ちた、透明感のある美しい作品となっているのです。
ピエロ・デラ・フランチェスカはフィレンツェで青年時代を過ごしたものの、その生涯の殆どをフィレンツェの外で、独立画家として活躍した人です。彼の描く人物像は、もしかすると、建物の円柱と見まがうほどの堅固さを感じさせ、やや情感を欠いた印象を持つ向きもあるかも知れません。しかし、その堅固さのなかには確かな丸みがあり、比例が整い、樹木さながらに地中から活力を吸い上げてでもいるかのような生命力を持ち、自然の延長たる存在として洗練された美しさを主張しています。
そして、この『聖十字架伝説』の中でも、ピエロの芸術的想像力の世界は飽くまでも明晰で秩序をそなえたものとなっていますが、それでも、画面からは確かな熱気が伝わってきます。彼の幾何学、遠近法は、単に絵の表面に模様を作り出すためのものではありませんでした。遠近法は画面空間を三次元的に明示する手段であり、ピエロの透徹した知性と精練した画面は、トスカーナの風景を包み込む澄明な陽光を私たちのもとにもたらし、荘重で優雅で感受性に富んだこの奇跡の瞬間は、鑑賞者にとってもすでに現実のものとなってしまっているのです。
★★★★★★★
アレッツォ(イタリア)、 サン・フランチェスコ聖堂 蔵