受胎告知を受け入れ、既に母の面差しとなったマリアは、従姉(いとこ)に当たるエリサベト(エリザベツ)のもとを訪れました。老齢になるまで子供に恵まれなかったエリサベトでしたが、今は妊娠7カ月目です。彼女もまた不思議な神の働きによって身ごもったのでした。それを知ったマリアの訪問だったわけです。親しげな2人の様子に心が和みます。マリアの挨拶を聞いたとき、エリサベトのお腹の子が躍ったといいます。その子はやがて洗礼者ヨハネとなるのです。
ところで2人の足元には2人の老人が座しています。これはマリアの夫ヨセフと、エリサベトの夫ザカリアです。2人の妻があくまでも聖なる懐妊をしているせいか、夫たちはどこか頼りなげな老人として描かれています。ザカリアはともかく、ヨセフがこんなお爺ちゃんだなんてマリアがちょっと可哀想と思ってしまうのは、たぶん筆者だけではないと思われます。
ところでエリサベトの夫ザカリアは、ヘロデ大王のときの祭司でした。ある日、彼が務めを行いエルサレム神殿で香を焚いていると、大天使ガブリエルがあらわれました。そして妻の懐妊を伝え、その子にヨハネと名づけるよう告げたのです。ところがザカリアはこれを信じませんでした。そのためヨハネが誕生して8日目まで、話すことができなくなってしまうのです。祭司でありながら大天使の言葉を信じないとはけしからんと言われてしまいそうですが、それほどにザカリア夫妻は年をとっていたのです。鼻眼鏡をかけて熱心に書き物をする豊かな髭のザカリアは、そんな自分のしくじりも忘れているようで、ほほ笑ましくさえあります。
彼らの後景には、マリア側にイエスの誕生、そしてエリサベト側にはヘロデ大王による嬰児虐殺の様子が描き込まれています。これから起こる幼な子の物語が既に静かに暗示されているのです。
作者のピエロ・ディ・コジモ(1461/62-1521年)は、15世紀後半のフィレンツェ派の画家です。本名はピエロ・ディ・ロレンツォといい、コジモ・ロッセッリに師事しました。通称のコジモはここから生まれたようです。1481年からは師とともにシスティーナ礼拝堂の装飾に参加しています。年若いピエロをこの大きな仕事に参加させたロッセッリは、ピエロの実力に絶対的な信頼を置いていたに違いありません。
しかしピエロは非常に異色の存在でした。その表現は独自であり、当時としてはまれな幻想的かつ詩的な様式を探求し続けていました。性格的にも変人であることは有名で、誰も昇ってこられない高い2階に住み、膠と一緒に茹でた大量の卵ばかりを食べて暮らしていたといいます。作品に署名も残さず、そうした意味でも俗世とは太めの一線を引いた人生だったといえそうです。
しかしこの聖母訪問の図は、ピエロらしいゴツゴツッとした味わいはあるものの、ごくごく密やかな2人の会話と優しい空気感に満たされています。つないだ手が握手のように感じられるのも、何かうれしい表現のように思えます。
★★★★★★★
ワシントン、 ナショナルギャラリー 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎観賞のためのキリスト教事典
早坂優子著 視覚デザイン研究所 (2011-3-15出版)
◎NHK フィレンツェ・ルネサンス〈6〉/花の都の落日 マニエリスムの時代
日本放送出版協会 (1991-10-10出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
◎ルネサンス美術館
石鍋真澄著 小学館(2008-07 出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001/02出版)