三日月を足下に踏まえ、空中に浮遊する玉座の聖母子….たくさんの天使に囲まれるなか、二柱の天使が冠を聖母の頭上に戴こうとしています。これは、画家の呼び名に由来する代表作….ムーラン大聖堂の三連祭壇画の中央画面です。逸名の画家は、この作品によって「ムーランの画家」と呼ばれ、ジャン・フーケ後のフランスを代表する画家として知られています。
それにしても、この聖母の、なんとすっきりと美しいことでしょうか。幼な子を見やりながらも、もっと深く….自身の心のうちを見つめるような内省的な表情が印象的です。切れ長の眼、細い眉、そしてなだらかな肩、イエスを支える白い指の美しさ…。実際に、現代においても、こんなふうに若く美しいお母さんを見かけることは多いような気がします。そして、もしかすると、ふと赤ちゃんと二人きりになったとき、こんな表情でもの思うこともあるのかも知れません。そういう意味では、15世紀の頃も今も、幼な子を想うお母さんの心はまったく変わらないのでしょう。作者ムーランの画家は、フランドル絵画の精緻な写実とフーケ譲りの端正な造形性をもって、この157×283㎝の大作を実現させました。
そして、聖母の衣装の襞のなめらかな美しさにもただただ見惚れてしまいます。柔らかな陰影が、その暖かい感触や質感までも驚くほどはっきりと伝えてくれます。それは、聖母の頭上に冠を捧げ持つ天使も同じで、ベルトで押さえたところから足元への、衣装の柔らかい襞の流れの自然な美しさには、飽くまでも脇役であることを忘れさせてしまいます。そして、それぞれの天使たちの表情も可愛らしくて親しみやすく、生きてそこに存在する少女たちのように見えます。
このような、形態に対する精妙で的確な、どちらかと言えば彫塑的な雰囲気、人物たちの安定感、調和のとれた構成、ステンドグラスの作家に見られるような輝かしい色彩と繊細さなどの特徴から、ムーランの画家はフランス=フランドルにおける国際ゴシック様式の最後を飾る代表的な画家、というふうに見なされています。そして、彼をフランス国王に仕えたジャン・ペレアル、リヨンで活躍した画家ジャン・プレヴォー、ネーデルラント出身のジャン・エイあたりと同一視しようとする試論が展開されていますが、今のところ、確かな説得力をもつにはいたっていないようです。
ただ、学問的な興味はとても大切なこととしても、ムーランの画家は、フランスの伝統的な抒情性を秘めた、こんなに美しい聖母を描く画家として、なんとなく「ムーランの画家」のままでひっそりと居てほしいような….そんな気もしてしまうのです。
★★★★★★★
フランス、 ムーラン大聖堂 蔵