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「聖母子と洗礼者ヨハネ、聖フランチェスコ」

ピエトロ・ロレンツェッティ (1320年頃)

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 じっと見つめ合った表情には、緊迫感がみなぎっています。しかし、これは確かに聖母子の図…..伝統的な聖母子像なのです。二人は何を話し合っているのでしょうか。やはりどう見ても、聖なる会話というよりは、何事か白熱した議論を続けているようで、聖母の親指が何を指し示しているのか、とても気になるところです。これは、三連祭壇画の形式をとった、一種の「疑似祭壇画」と言われるものです。

 ピエトロ・ロレンツェッティはアンブロジオとの兄弟画家であり、ピエトロのほうが兄であろうと考えられています。シエナ派の代表的な画家として活躍しましたが、その制作は生誕の地シエナに限られず、アレッツォ、アッシジ、フィレンツェにも及んでいました。兄弟での制作は、シエナの公営孤児院での壁画の共同制作が確認されているくらいで、ほとんどそれぞれに独立した仕事をしていました。しかし、彼らの様式はきわめて似通っており、自然主義的な描写、そして遠近法表現にも、二人の興味は一致していました。彼らは、フィレンツェ派画派における遠近法の発達を、なんと100年も先取りしていたというわけなのです。
 ピエトロは、もとはドゥッチョの弟子だったことがうかがわれますが、アッシジにおいてジョットの強い影響を受け、すぐれた空間表現を実現するようになります。弟のアンブロジオには風俗的な作風もみとめられますが、ピエトロは一貫して宗教的主題を描き続けました。彼はおそらく、ジョット様式に魅了され続けたのではないでしょうか。簡潔な群像表現、人物たちに見られる強い感情の表出は、まさしくジョットからの影響以外には考えられないものでした。そして、それがまたピエトロの魅力であり、色彩、人物の身振りに見られる劇的な性格は、他の画家に一線を画すものでした。

 そんな流れを考えてもう一度、この生き生きとした聖母子を見るとき、私たちはピエトロの持つ自由で独創的な感性に感嘆をおぼえずにはいられません。平面的で、どこかお人形のような人物像がごく普通だった14世紀の初めに、すでにこのようにドラマティックな雰囲気を持つ聖母子が描かれたということの素晴らしさにうたれます。二人は対等に目線を合わせ、対等な人間同士として語り合っています。ルネサンスの萌芽はここにも見られるのだ、と嬉しい実感を伝えてくれるような一作です。

★★★★★★★
アッシジ、 サン・フランチェスコ聖堂下堂 蔵



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