チラリとこちらを見る聖母の表情には、独特のニュアンスが感じられます。その膝の上に立つ幼いイエスも、ただ可愛い、とか聖なる、といった表現では足りない物知り顔で、この聖母子の不思議な雰囲気が、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの持つ洗練なのかもしれません。
マルケ出身のジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(1370頃-1427年)は、国際ゴシック様式を代表する大画家でした。
国際ゴシックとは、14世紀を中心とする、地域を超えた美術の交流によって発展した新しい流れです。このころ、フランス、イタリア、ネーデルラントをはじめとしたヨーロッパの作家たちが活発に交流するようになり、そうした活動が花開き、実を結び始めていたのです。さらに、神との個人的な関係を目指す新しい信仰の形が、新しい美術を生み出していったのもこの時代の特徴でした。
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノは、そんな時代を背景に、ヴェネツィア、ブレーシア、フィレンツェ、シエナ、オルヴィエートとその活動場所を変えています。それは、ゴシック期から初期ルネサンスへの移行期にあった文化的中心都市を画家が渡り歩いたことを示しており、彼の並々ならぬ積極性と制作意欲を感じさせます。
さらに、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの実力を実感する点に、弟子の多さも挙げられるでしょう。ピサネッロ、ヤコポ・ベッリーニ、ドメニコ・ヴェネツィアーノ、さらにあのフラ・アンジェリコもまた、ジェンティーレを師と仰いだ一人だったのです。。
そんなジェンティーレの作品は、いかにも当世風で優美で、この板絵にも見られるように、背景にしばしば壮麗な金地を多用しています。そこには、ジェンティーレの古代への関心が反映されているようです。さらに緻密な描写、草花や木々に見られる自然への関心、波打つ描線や優雅な身振りなどは、国際ゴシック様式の大きな特徴と言えるのです。
ジェンティーレは、15世紀初めのイタリア画家の中で最も高名で多くの注文を受けた作家でした。彼の持つ優美さ、美しさ、そして微妙なニュアンスを見るとき、それはごく当然のことのように思えます。
向かって左端の聖ニコラウスは、ひざまずいて祈りを捧げる注文主の守護聖人のようです。殉教聖女のしるしである棕櫚の葉を一枚手にした聖カタリナも、厳かでありながら可愛らしい表情で控えています。そして、注文主に祝福を与えるイエスの後ろでは、樹木の中から奏楽天使たちが楽しげに顔をのぞかせています。すると、私たち鑑賞者までも、何やら不思議に幸せになってしまうのです。
ファブリアーノの現存作品は、壁画がほとんど失われ、板絵だけが約20点と言われています。この作品は、その中でも、画家の生地ファブリアーノにあるサン・ニッコロ聖堂のために制作された、貴重な板絵のうちの一点なのです。
★★★★★★★
ベルリン国立美術館蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001/02出版)