清らかな存在として神の御子を生み、育て、その最期を見送った聖母マリアは、復活のキリストに帰依し、最初のキリスト教徒としてその生涯を終えました。思えば、篤い信仰をもって耐え続けた聖母の一生は決して華やかなものではなかったわけですが、この聖母被昇天の場面だけは、彼女を取り巻くすべてが、まるで天の祝祭のように描かれることが多いことに、凡人の身としては、なにかホッと安堵をおぼえると言ったら叱られてしまうでしょうか。
聖母の死から三日後、使徒たちがその墓の傍らに座っていると、聖母の魂を携えた大天使ミカエルを伴ってキリストが現れ、聖母の体に魂が戻されました。マリアは復活したのです。そして、聖母マリアの魂と身体は天使たちの手によって、再び天に昇っていくのです。聖母は合掌しながら空を見上げます。彼女は人間でありながら、ただ一人、魂も身体も天に召されたのです。
聖母被昇天の主題は、本当にたくさんの画家によって描かれていますが、カスターニョの描いたこの場面で、聖母は玉座に座っています。これは、比較的珍しい表現かも知れません。そして、歓喜に満たされた聖母の全身はアーモンド形の光背に包まれているのですが、さらによく見ると、四天使が支えているのは赤い炎に包まれた黄金の雲のようです。つまり聖母は、燃える円光に包まれた状態で、天使たちは円光ごと聖母を持ち上げている格好になります。なんと壮大で華麗な聖母被昇天でしょう。しかも、これには岩盤のような不思議な物質感があり、非常に重厚な印象なのです。これほど力の強そうな天使たちも、ちょっと珍しいかも知れません。こんなところにも、15世紀フィレンツェ派の画家カスターニョの、大胆で斬新な発想が息づいているようです。
アンドレア・デル・カスターニョは、最も強力なフィレンツェ派の画家と言われていました。そして、「首吊りのアンドレイーノ」といった、穏やかでないあだ名も頂戴していたのです。それは、メディチ家のコジモに謀反を起こして逆さ吊りの刑となった陰謀者たちの姿を、1440年にポデスタ宮にフレスコで描いたことがそもそもの理由でした。これはまた、生涯彼につきまとった「凄まじい画家」という評判を助長するよい材料になったようで、彼の持つ劇的な演出や活力に富んだ構想は、人々の瞠目を誘い続けたのです。 しかし、カスターニョ自身は、もしかすると、そんな評判をとくに意に介してはいなかったかも知れません。彼の作品は、マザッチオの写実的手法や装飾的なドナテッロの手法に影響を受けたと言われていますが、一貫していることは、つねにフィレンツェ派の写実の伝統を推し進め、強い線描と鋭い明暗対比、そして劇的な迫真力で貫かれていたということです。カスターニョの目指したところは、常に苛酷なほどの直截的な描写と、真に生きた人間ドラマだったのではないでしょうか。
聖母が天に昇ったあとの空になった墓は、百合や薔薇の花でいっぱいに満たされています。装飾的な国際ゴシック様式の美しい残り香は、15世紀に生きた革新的な画家カスターニョの手によって、現代に生きる私たちにも確かに伝わってくるのです。
★★★★★★★
ベルリン国立美術館 蔵