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「聖餐の秘跡」

ディーリック・バウツ (1464-67年) 

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   <この祭壇画を実際に開いたときの状態>

 15世紀、ベルギー中部のルーヴァンを代表する「都市の画家」に任命されたバウツ。彼の代表作が、この『聖餐の秘跡』と言われています。少し冷たく、やや硬さを感じさせる人物表現がバウツの特徴ですが、その長く引き伸ばされた人体はとても洗練され、色彩の個性的な美しさとともに優雅な印象を与えてくれます。

 祭壇画の中央に位置するのはお馴染みの『最後の晩餐』の場面です。キリストが、パンと葡萄酒で弟子たちを祝福していますが、厳粛な聖餐式の場面が暖かい暖炉のある庶民の居間に設定されているのも北方の画家らしい好みと言えそうです。しかも、この聖なる空間には、キリストと12使徒のほかに、現実の人物たちも4人描き入れられていて、聖なる食卓は不思議な賑やかさを呈しています。
 この4人は祭壇画の寄進者である聖餐兄弟会の会員たちであると言われていますが、赤い帽子の男は画家自身だとの説もあります。しかし、数えてみると人物は15人だけでは?と思ってしまいますが、向かって左後方に掛けられた額のような窓から二人の人物が顔を出しており、これで17人全員が揃うわけです。

 キリストの発した言葉に、一瞬にして緊張が漲る場面が描かれることの多い『最後の晩餐』ですが、バウツの実現した画面には、静かでくつろぎさえ感じさせる空間が息づき、開け放された扉や窓の向こうに広がる景色からは、風景描写に親しんだバウツの好みが爽やかな風ととともに伝わってくるようです。
 この中でバウツは、単一の消失点を持つ遠近法と微妙な明暗表現によって、狭い空間内に多数の人物を的確に配置する能力を示しています。そしてその登場人物たちは、劇的な出来事とは何の関係も持たないかのように、細長く優美な姿で画面の中の一員として存在しつづけているのです。

 ところで、この三連祭壇画の両翼には、『最後の晩餐』の予型とされる旧約聖書の中の四つの有名な場面が描かれています。予型とは、新約聖書の中に書かれているさまざまな出来事がすでに旧約聖書の中に表されている、という考え方に基づいたものです。

 まず、左上は『アブラハムとメルキゼデクの邂逅』です。アブラハムは旧約聖書における最初の偉大なユダヤの族長でしたが、神に命ぜられて、妻のサラ、甥のロトを連れてカナンに赴きます。途中、ロトは別れてソドムに落ち着きますが、掠奪者に襲われ、財産を奪われます。知らせを聞いたアブラハムは、武装して追跡し、無事にロトと財産を取り返して凱旋します。エルサレムでアブラハムを迎えた王メルキゼデクはパンと葡萄酒をもって彼を祝福します。それがちょうど、この場面…。メルキゼデクは王にして大祭司たる人物だったので、祭司の服をまとい、大祭司の冠をつけ、聖餐のための葡萄酒の瓶とパンとを携えています。

 次に、向かって左下の場面は『過越しの祝い』です。モーセは神の命令のもとに、ファラオがユダヤ人の奴隷を解放する気になるように、エジプトにさまざまな災厄をもたらしますが、かえってファラオの態度は頑なになります。そのためついに、ファラオは彼自身の子も含めて、エジプトの初子は全員死ぬであろうと告げられます。そして、それと同時に、ユダヤ人には出発のための特別な準備をするようにとお告げがあります。その準備とは、家族ごとに一頭子羊を屠り、この血で家の入り口の2本の柱に印をつけ、あとは子羊の肉を焼いて急いで食べるように、というもので、「腰を引きからげ、くつを履き、手に杖をとって….」という状態で食べろというのですから、ずいぶんせわしない晩餐ということになります。
 そしてその夜、死の天使がやって来て、入り口の柱に印のついたユダヤ人の家だけは過ぎ越し、エジプト人の初子だけが殺されました。このため、ファラオもついにユダヤ人を国から去らせる決心をする…というものですが、確かに左下の晩餐では、人々が杖を持って旅支度を整えた様子で、立ったまま子羊が横たわるテーブルを囲んでいるのがわかります。

 次に、向かって右上は『マナの収集』です。これは「出エジプト記」の中のお話です。荒野に入って飢餓に脅かされ始めると、人々の間にはモーセに対する不満の声が上がるようになります。しかし、神は食糧の供給を約束します。
 そして、朝になってみると、地面に露が降り、その露がかわくと薄い霜のようになって、それを食べてみるととても美味しく、「蜜を入れたせんべいのような」味だったそうです。人々は、地表から拾ったその食べ物をさまざまな容器に集めていますが、「それは何ですか」を意味するヘブライ語から、食べ物の名は「マナ」と呼ばれました。この主題は、群衆に食物を与えるキリスト、そしてまたは聖餐の予型と見なされたのです。

 最後に、右下の絵は『荒野のエリヤ』です。エリヤは、イスラエル人の間のバアル信仰に精力的に反対を唱えた気性の激しいユダヤ人の預言者でした。
 イスラエル王アハブの妻イゼベルはバアル礼拝をおしすすめ、カルメル山においてバアル神とエリヤの神との競技を開かせましたが、熱狂的な祈願も空しくバアル神が返答をしてこなかったのに対し、エリヤの神は火を遣わして彼の供物を焼き尽くしました。そのため、エリヤはイゼベルによって荒野に追われ、死に瀕して杜松(ねず)の木の下に横たわってしまうのです。
 すると、天使が現れて彼にパンと水を授け、そのおかげでエリヤは力を得、荒野での生活に40日間耐えることができたといいます。この天使は、聖餐の象徴ということになるのです。

 以上の両翼の四つの作品のうち、三つが戸外をテーマにしたものですが、どの作品でも、前景から中景、遠景へと三層の構成がはっきりと出て、狭い空間の中であっても、前時代とは明らかに違う深く豊かな奥行きのある自然な空間が実現されています。ハールレムで修行した折からの風景描写への愛着もあって、バウツは風景画を開発した画家の一人とも言われています。

 巨匠ヤン・ファン・エイクの後継者と見なされた画家は多くいましたが、バウツはよく「ヤンの眼をもって、ロヒール(ファン・デル・ウェイデン)の形体を描いた画家」と評されたりします。しかし、それぞれの巨匠の影響を受けながらも、バウツの人体表現はウェイデンよりもある意味では単純化され、その分、親しみやすく静かで、こちらの感情をどのようにでも受け入れてくれるような安らぎを秘めているように感じられます。
 それは、室内を描いてもどこかに必ず窓や扉が設けられ、いつも風が吹き抜け、空気が動いていることを感じさせる、バウツ自身の中にある詩的感受性がもたらすものなのかも知れません。
  
★★★★★★★
ルーヴェン、 シント・ペーテル大聖堂 蔵



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