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「肝臓は雄鶏のとさか」

アーシル・ゴーキー (1944年)

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 第二次世界大戦中のニューヨークには、ヨーロッパからダリやモンドリアンなどの一群の抽象画家やシュルレアリストたちが、大戦を逃れて亡命してきていました。こうした亡命画家たちとの交友によって、ニューヨークの若い画家たちは大きな影響を受けていくのですが、そんな流れの中に、ゴーキーも身を置いていました。彼は現在、最後のシュルレアリストであり、最初の抽象表現主義者と評されています。

 それにしても、『肝臓は雄鶏のとさか』とは、何度読み返しても奇妙なタイトルです。抽象画はどうもわからない…と匙を投げたくなってしまうような作品ですが、その絵をじっと見つめていると、たしかに肝臓やとさかのようなフォルムが感じられます。しかし、そのものを生々しく感じてしまうのでは目をそらしたくなるような不快感しか残らないところなのですが、なぜかそのタイトルとは裏腹の、不思議なほどの躍動感、歓びに似た感覚は何なのでしょうか。この絵を見るたびにわき上がる高揚感には、今もって自らを納得させるほどの説明をつけることはできません。

 ゴーキーはトルコ領アルメニアのホルコム・ヴァリに生まれました。1909年のトルコ人によるアルメニア人大虐殺を逃れて1920年にはアメリカに移住、ニューヨークで美術を学びました。初期のころにはピカソの強い影響でキュビスム的抽象画を試みましたが、幾何学抽象画は彼の体質に合わなかったようで、その後はヨーロッパから来たシュルレアリストたちの影響から、ミロやカンディンスキーに似た生物的な抽象画のスタイルを確立していったのです。彼のそうした様式は、やがてデ・クーニング、ポロックなどの抽象表現主義の画家たちの初期に大きな影響を与えることになります。そんなことからゴーキーは、ヨーロッパの近代絵画と戦後絵画の接点に立つ存在、と見なされるようになったのです。

 ところで、この作品に限らず、ゴーキーの絵には鶏、とさか、足などを想起させる形態が多く登場します。アルメニアからの移民だったゴーキーはおそらく、幼少時代を過ごした故郷を生涯、忘れることはなかったのでしょう。父親が使っていた農具、畑で育てていた野菜や植物、そして庭を走り回っていた鶏たちの記憶は、彼の一生のなかで最も鮮やかに生き生きと生き続けるものたちだったのです。そして、そうした記憶、明瞭な形態が、彼の手を通してあふれ出しているのです。

 ゴーキーは、1964年頃から、火事による作品の焼失、癌の手術、自動車事故による首の骨折、そしてそのための利き腕の麻痺…..と、立て続けに不幸に見舞われました。そして遂にそのために、妻子にさえ見捨てられて自殺してしまいます。そんな悲劇的な人生を送った人ではありましたが、彼の作品には、不思議なほどに生命の歓びが満ちています。二度と帰ることのなかった故郷アルメニアの、植物や動物たちの持つ有機的な生命の祝祭は、最後までゴーキーの中で輝き続けていたに違いありません。

★★★★★★★
バッファロー、 オルブライト=ノックス・アート・ギャラリー 蔵



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