絵筆の束とパレットを手にしてこちらを見つめる可愛らしい女流画家は、マリー=ルイーズ=エリザベート・ヴェジェ=ルブランです。彼女は今、若い女性の肖像画を制作中です。ということは、ヴィジェの視線の先にはこの女性がいるということですから、彼女に見つめられている私たちはこの絵の中の女性その人だということになり、私たちはこの作品に、知らぬ間に参加してしまっているというわけなのです。それにしても、こんなに可愛らしい画家さんに肖像画を描いてもらったら….嬉しいけれど、ちょっとテレくさい気もしてしまいそう…。
ヴィジェ=ルブランは機知に富み、そしてご覧のとおりの美しさでも知られた人気画家でした。おそらく人柄も、人を惹きつける魅力に溢れていたのでしょう、画面の向こうから微笑みかけるこの表情を見ても、ホッと心なごむ雰囲気が漂います。くすんだ背景の前で、衣装も黒と白だけ….でも、ベルト代わりに腰に巻いた赤い布の鮮烈さが、この作品に一気に生気を与え、彼女の決心のようなものが迫ってきます。そして、絵筆の一本に布と同じ赤の彩りを見たとき、画家としての強い自負を感じることができるのです。
ヴィジェ=ルブランの描く肖像画の特徴は、まず実物以上に見栄えのする姿に描いてくれることでした。ですから、彼女のもとにはヨーロッパ中から肖像画の注文が舞い込んだと言われています。ことに、フランス王妃マリー・アントワネットの肖像は25回も制作したと言われ、おかげで、その長い生涯(1755-1842)にわたって、ヨーロッパのすみずみに、そしてフランス革命から逃れた後にはロシアにまで、大きな名声を博したのです。
私たちがフランス・ロココに対し、最も明快なイメージを持つのは肖像画によってかも知れません。それも、そのもっとも優れた成果は女性像に見出されるのです。恋愛や女性美を礼賛し偶像化した社会では、それはごく自然なことだったでしょうし、フランス・ロココの肖像画家として、ヴィジェ=ルブランはもっとも優れた画家の一人でした。彼女の描く女性たちの、魅惑的でどこかはかない雰囲気は、そのままロココそのものだったかも知れません。
ところで、この若さいっぱいの溌剌とした自画像を制作したとき、ヴィジェはすでに35歳でした。ですから、この姿はそうとう理想化されたものだという説があります。でも、そこはロココ第一の肖像画家です、絵画に賭ける変わることのないみずみずしい情熱を、永遠に画面の中にとどめておきたいと思ったのではないでしょうか。
★★★★★★★
ウフィッツィ美術館 蔵