デューラーにはめずらしく、若くて美しい女性の肖像画です。
少し気の強そうな目鼻立ちと、まだあどけなさの残るみずみずしさがとても印象的ですが、デューラーがペストの災禍を避けてイタリアへ赴き、ヴェネツィアに滞在したとき、最初に描いた作品ではないかと言われています。
ちょうど10年前のイタリア滞在のときには、ドイツ人居留地の商人に北方の版画を売って生活する無名の芸術家の卵に過ぎなかったデューラーも、この頃には押しも押されもしない一流の芸術家として遇される身となっていました。特に彼の版画作品はイタリアでも広く知られていて、そのため、貴族や学者たちに囲まれて、華やいだ日々を過ごしていたようです。
その証拠に、親友の人文学者ヴィリバルト・ピルクハイマーに宛てた手紙にも、「寒さのなかにあって私はどんなに太陽を求めることだろう。私は、ここでは貴族で、自家では居候さ」と書いています。この時期、ミラノでレオナルド・ダ・ヴィンチに会った可能性もあると言われており、いろいろな意味で実りあるヴェネツィア滞在だったようです。
ところで、この作品のモデルがヴェネツィアではなくミラノの娘であるという説もあります。でも、髪の両わきを垂らしてカールさせ、残りの髪を後ろでネットで押さえるなどの特徴は、当時のヴェネツィアで流行したヘアスタイルでもあり、おそらく間違いなくヴェネツィアの娘を描いたものだろうと思われます。
黒の背景に浮かび上がって、同系色でセンスよくまとめられた彼女の左肩のリボンだけが黒のアクセントになっていて、その存在を主張しています。
押さえた色調の中で、モデルの生き生きと輝く生命感が、私たちの心にも真珠のような光を投げかけてくれます。
★★★★★★★
ウィーン美術史美術館蔵