小枝で編んだ揺りかごの中の可愛い赤ちゃんを、召使いらしき女性があやしています。ところが、縫い物の手を休めたお母さんの視線は、画面のこちら側に真っ直ぐに向けられているのです。挑むような、それでいて次の瞬間には不思議な笑顔を見せそうな、名状しがたい雰囲気です。そして、彼女の背後の柱には、キューピッドが浮き彫りされています。一見、聖母のような若い母親には、何やら謎がありそうです。
作者のヘーラルト・ダウ(1613-75年)は、17世紀オランダで「フェインスヒルデルス(上質の画家)」と呼ばれ、レイデンにおいて師のレンブラントと人気を二分した風俗画家であり、肖像画家でもありました。それはまさに、彼の作品の持つ迫真性が同時代の人々を魅了したからに他なりません。滑らかな筆致、細部の繊細な描写、物たちの材質感への徹底したこだわりなど、仔細に見れば見るほど鑑賞者を引き込む力にあふれています。
ダウの風俗画は、高い人気を誇っていました。この作品のように、日常生活の一場面を切り取った親しみのある画風には多くの需要があったのです。ただし、「若い母親」は特別な作品でした。1660年、新国王となったチャールズ2世への贈り物として、オランダ政府の買い上げとなったのです。これで、ダウの画家としての成功は決定的なものとなりました。
ところで、ダウの技量を遺憾なく発揮した静物群が画面の左右に設けられています。向かって左側には、開かれた窓からの光を受けた籠や、すでに皮を剥がれたウサギ、倒れた水差しなどが細密に描かれています。そして右側には、床にひっくり返ったランタン、ほうき、ニンジン、セラミック製の輝くポット、死んだ鳥、皿の上の魚など、それらすべては、今にも手で触れることができそうなリアル感です。ダウが「上質な」画家と謳われた理由が納得できるようです。
その中でも、不自然に脱ぎ捨てられたスリッパには、愛と性に関する隠喩が秘められています。さらに、倒れたランタンは不注意のしるし、火の消えたロウソクは過ぎ去っていく時間を暗示していると言われます。たくさんの物たちの中に多くの象徴性を秘めることの得意な、ダウならではの卓越した画面構成です。
さらに、興味をそそられる小道具として、カーテンの存在が挙げられます。フェルメールをはじめとして、この時代の画家はカーテンをとても上手に利用しています。
たっぷりとしたレンガ色のカーテンは、私たちに三次元イリュージョンを与えてくれます。これだけ大胆に使用されると、ここに何故このカーテンが必要なのか、といった馬鹿げた疑問は感じなくなってしまいます。巻き上げられ、端を垂らした重みのあるカーテンは、写真のような写実を旨とするダウによって、自由自在に、まるで生き物のように画面上部を動き回ります。
そして、にぶい銀色を放つシャンデリアは、暗い背景の中に、まるでUFOのようにとどまっています。触手のようなロウソク立てが今にもくるくると動き出しそうに画面の中央を引き締め、下部の球体に映る映像までも判別可能な気がしてきます。
ダウは、迫真性という唯一の目的のために風俗画を描いたのではないかとさえ疑いたくなるような、現実ではない写実世界となっています。
★★★★★★★
ハーグ、 マウリッツハイス美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋名画の読み方〈1〉
パトリック・デ・リンク著、神原正明監修、内藤憲吾訳 (大阪)創元社 (2007-06-10出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
◎名画への旅〈14〉/17世紀〈4〉市民たちの画廊
高橋達史・尾崎彰宏他著 講談社 (1992-11-20出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)