丈の高い草で覆われた草原の一本道を、母と子が降りてきます。子供のはしゃぐ声や若い母親の笑い声が聞こえてきそうな、明るく幸せな画面です。陽光は惜しみなく二人に降り注ぎ、豊かな色彩は頬をなでる優しい風までも鑑賞者に伝えてくれるようです。
ルノワールは、仲間のモネやシスレーらとともに画材を抱え、自然の中に刻々と移ろう光や風をカンヴァスに取り込み、自然を師とした制作にいそしみました。それが彼の画業の本格的な出発だったと言っていいのだと思います。友人たちとのそうした共通体験が、その後の印象派と呼ばれる仲間たちとの強い絆ともなりました。
その後、ルノワール自身の芸術観やスタイルが徐々に変化していっても、この初期のころの戸外での学習の成果は、それこそ晩年まで、彼の中で生かされ続けました。戸外の温かい陽光は画面全体を包む内的な光へと変化しつつ、ルノワールの芸術を支え続けたのです。
日ごろ、私たちがしばしば目にするルノワール作品は、多くが肖像画や裸婦像であったりします。そのため、ルノワールを印象派の画家とは考えにくい向きもあるに違いありません。しかし、確かに彼は、戸外制作によって培われた眼と感性によって、その画業を展開していったのです。
ところで、モネにも、これによく似た作品「ひなげし」があります。ちょうどこのころ、モネの一家がパリ近郊のアルジャン・トゥイユに住んでいて、仲のよかったルノワールはしばしば訪問していたようです。セーヌ川周辺の美しい風景が印象派の画家たちの格好のテーマでもあったからです。そこで、モネ夫人のカミーユと息子のジャンが散歩する様子を、ルノワールは描きとめていたのでしょう。互いに影響し合い、作風も非常に似ていた二人が、ほぼ同じイメージから作品を制作したことは十分に考えられます。
「ひなげし」とは、女性のさしたパラソルまで同じです。日傘は都市に暮らす婦人の定番の持ち物でした。さらに衣装も、腰の後ろだけを膨らませたバッスル・スタイルという当時流行のドレスのようです。豊かな都市生活者である母子の、午後のお散歩….といった風情でしょうか。
さらに気がつくのは、二人の後ろによく似た人影が見てとれることです。同じ人物が同じ画面に二度、登場してしまっているようなのです。実は、これも「ひなげし」との共通項なのです。確かなことは言えませんが、幸せな情景に見とれていたルノワールが一瞬白昼夢を見たすきに、二人が彼の目の前まで来てしまっていた、ということなのかもしれません。
★★★★★★★
パリ、 オルセー美術館蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派
アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳 講談社 (1995-10-20出版)
◎印象派美術館
島田紀夫著 小学館 (2004-12出版)
◎ルノワール
ウォルター・パッチ著 美術出版社 (1991-02-10出版)
◎ルノワール―その芸術と生涯
F・フォスカ著 美術公論社 (1986-09-10出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画の巨匠4 ルノワール
賀川恭子著 小学館 (2006-06出版)