ボッスの作品というと、どうしても、おどろおどろしい悪魔や奇怪な印象の人間の姿がまず頭に浮びます。それは、彼の代表作である『悦楽の園』や『最後の審判』などの幻想と官能の世界が、私たちを言いようのない夢幻魔術に引きこんでしまうからに違いありません。
北方ルネサンス美術のなかでも非常に特異な幻想世界を展開したボッスは、中世から近代への急速な移行期に、そこに生きる人々の混乱した価値観を示唆するような世界を提供し続けた画家だったのです。
そんなボッスの描く洗礼者ヨハネは、荒野のなかで隠者として暮らしています。岩板の上にひじをつき、なんとものんびりと眼下の羊を眺めています。この白い羊はまさに清廉の象徴で、おとなしそうな、可愛らしい目が印象的です。
しかし、ヨハネのそばにはまた、爬虫類を思わせる奇妙な植物が根を張っているのです。茎には痛そうなトゲが生え、おそらくその実は毒を持っているのでしょう… 岩の上に鳥が一羽、息絶えています。この植物は肉欲のよろこびを表したものであり、ルカ伝第三章にある「凡て善き果を結ばぬ樹は、切られて投げ入れらるべし」という記述が象徴されているようにも思えます。そんな肉欲と清廉の対立のなか、ヨハネはごくごく平和に静かに瞑想にふけっているというわけです。
それにしても、ヨハネが隠遁生活を送る荒野は、実に不思議な自然に包まれています。森や遠くの山々が美しくのぞめ、緑豊かな場所ではあるのですが、そこに見え隠れするなんとも幻想的な樹木や絶壁は、シュルレアリスム的な不安な感じを抱かせます。
多くのボッス研究者が、彼の精神状態の根本には絶えず抑うつ症があったと述べています。ですから、彼の作品には深いペシミズムがしみ込んでいるのかも知れません。また、ボッスの時代には、まだ悪魔は空想の産物ではなく、実際にこの世に生きて跳梁する存在だったのです。ですから、悪魔の象徴としての邪教、妖術も横行し、教会、修道院の腐敗に対しての烈しい告発の気分と高潮した不安のなかで、ボッスの目はこの時代のすべてを透視していたと言えるかも知れません。
しかし、さらにこの作品を味わうとき、その細密な描写と美しい色調、そしてそのおかげで絵の具の材質感が消え、色彩が驚くばかりに透明で、画面が光に満ちていることに心がふるえます。
研究者によって、ボッスが挿絵画家であった父から独自な教育を受けたことがわかっています。彼の、現在残っているペン素描のなかには、他の巨匠の作品の素描が一つも見当たりません。つまりボッスは、父から教えられた伝統のなかで、自己の内部を磨き、輝かせることに徹底した画家だったのです。この内側から光があふれるような画面は、そんな彼の、他の画家には真似ることのできない独自のものだったのです。
★★★★★★★
マドリード、 ラザロ・ガルディアノ美術館 蔵