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「荒野のキリスト」

イワン・クラムスコイ (1872年)

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 マタイ、ルカによる福音書に描かれた荒野のイエスの物語は、悪魔との闘争そのものです。
 「もし神の子なら、これらの石がパンになるよう命じたらどうだ」
 「人はパンのみによりて生くるにあらず」
 「もし神の子なら、ここから飛び降りてみるがよい。天使が手で支えてくれるだろうから」
 「聖書には、神を試してはならないと書いてある」
 そんな問答が、来る日も来る日も続きます。それは、イエス自身の内に棲む悪魔との闘いの日々だったのです。やがてイエスは、自己の欲求との闘争に打ち勝ちます。
 しかし、ロシア移動展派の指導者クラムスコイの描いたキリストからは、そんな物語的な甘美さは全く感じられません。その苦悩に満ちた姿はあまりにも堅牢で、荒野の岩と一体化してしまったかのような痛々しさなのです。固く組んだ両手がほどかれることがあるのだろうか、と見守る側も苦しくなるほどです。

 イワン・クラムスコイ(1837-87年)は、19世紀後半、ロシアの民主的芸術運動を指導した雑階級出身の画家であり、美術評論家でした。彼は、保守的で停滞期を迎えていたアカデミーに反発し、広い視野をもって新しい芸術を取り入れていこうとする「移動美術展協会」を創立しています。これは、帝政ロシアの圧政がもたらす社会問題、内部矛盾に疑問を持ち、それを絵画に表現しようとするクラムスコイらしい活動だったと言えます。
 15歳のときにイコン画家の弟子となって修業を積み、やがて、せっかく受かった芸術アカデミーも卒業制作をボイコットして自ら去ったというクラムスコイは、絶えず民衆の側に立つ、熱い心を持った芸術家だったのです。
 ここに描かれたキリストの姿は、人類の理想と正義を目指し、人民のために闘う道を歩むべきかどうか苦しむ、当時の進歩的知識人の苦悩そのものだったと言われています。高邁な精神、理想を持ちながら、自ら信じる道を行くことに、これほどの苦痛を伴わねばならぬことをよくわかっていたクラムスコイの人生は、あまりにもハードであったと言わざるを得ません。49歳のときに病を得、早くにこの世を去っています。
 徹底した写実の中に浮かび上がる荒涼とした岩場、孤独なイエスのシルエットは、クラムスコイ自身の精神的自画像でもあったのだろうという気がします。

★★★★★★★
モスクワ、 トレチャコフ美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎忘れえぬ女(ひと)―帝政ロシアの画家・クラムスコイの生涯
       鈴木竹夫著  蝸牛社 (1992-03-01出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)

 



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