静かでのどかで、いかにも牧歌的な風景の中で、岩に腰を掛け、右手を頬に当てて瞑想にふけっているのは、洗礼者ヨハネです。
「彼は両親に別れを告げ、天使の導きにより荒野で隠遁生活を送った」….荒野で禁欲生活を送るヨハネはバプテスマのヨハネと呼ばれ、キリストの先駆者、または使者とされ、旧約と新約聖書をつなぐ重要な役割を担った人物です。
彼の傍らには神の子羊がちょこんと座り、そんな彼を温かく見つめています。聖人は救世主の受難を想っているのでしょうか、それとも悔い改めの洗礼の儀式を想うのでしょうか。その視線は永遠に動かないのではないかと思われるほどに静かで哀しそうにすら見えます。
それにしても、なんと美しく清らかな画面でしょうか。豊かな緑、木々の葉も一枚一枚描き込まれ、穢れない光が画面全体を包んでいるようです。洗礼者ヨハネのこのポーズは、いわゆる「メランコリア」の姿勢であり、古代ギリシャの衛生学では憂鬱や怠惰という悪い病気をもたらす憂鬱質のポーズなのですが、ルネサンスの時代に入ると、哲学的、知的活動と関係づけられ、苦悩や内省を暗示する図像として定着していったのです。洗礼者ヨハネの表情もまた、穏やかで知的な美しさに輝いているようです。
15世紀、オランダ地方の拠点ハールレムでは、風景描写が発達しました。その中でも特に秀でた画家の一人ヘールトヘン・トット・シント・ヤンスは非常に才能ある画家でしたが、また夭折の人でもあって、28歳で亡くなっています。名前は「聖ヨハネ騎士団の小さなヘーラルト」という意味で、彼が仕事をしたハールレムの教団に因んでつけられたものとみられています。小さなヘーラルトは、この教団の修道院教会のために祭壇画を描いており、『キリストの哀悼』と『洗礼者ヨハネの焚骨』が現存していますが、それはどちらも、奥行きのあるみごとな風景をバックに、個性的な人物を配した、彼の才能を物語る素晴らしいものでした。
シント・ヤンスは、ネーデルラントで活躍したフースやクリストゥスから大きな影響を受けたと推察されていますが、精緻な写実性と、前景、中景、後景への風景表現の着実な展開はみごとで、ネーデルラント絵画の到達点をみることができます。それでも、画面に漂う不思議な静けさ、神秘性、彫塑的な人物像はシント・ヤンス独自のもので、彼の絵画世界は、当時の画家たちの中でも独自の個性を放つものだったと思われます。
風景描写を発展させたハールレムの画家らしく、卓越した風景画家でもあったシント・ヤンスの描く洗礼者ヨハネは、緑野のなかに置かれながら、まるで禅僧のように、じっといつまでも、自らの内側と対話し続けているようです。
★★★★★★★
ベルリン国立美術館 蔵