画面全体から芳醇な香りが漂い、どっしりとした安定感とバラ色の肌はルノワールならではのものです。そして、彼女の腕のたくましさ、頬の赤さは、土の香りと包み込むような温かさを伝えてくれているようです。
この匂い立つような豊満なモデルは、妻アリーヌの従姉妹にあたるガブリエルです。彼女は、次男のジャンや三男クロードの乳母として1894年に郷里のエソワから招かれ、以後、ルノワール家の家事手伝いとして、なくてはならない存在となっていました。特に、リューマチのために体の自由が損なわれていくルノワールの世話も彼女の仕事でした。思い通りに動くことのできない苛立ちから気難しくなることもあったに違いないとは思うのですが、それでも、ルノワールの信頼と感謝は大きなものだったことでしょう。その一方で、画家はガブリエルを子供たちと一緒に、また裸体画のモデルとしても何度も描いています。
絵画一筋に生きてきたルノワールの老いは、思いのほか早いものでした。1890年代の後半、つまり50歳代後半から持病のリューマチが徐々に悪化し、手足の麻痺が進んでいます。そのため、フランス南部のカーニュ・シュル・メールに構えた別荘が生活と制作の拠点となっていったのです。
病気の進行とともに、ルノワールにとって、家族はいっそう大切な、かけがえのないものとなっていました。妻のアリーヌ、息子のピエール、ジャン、クロードの三人、そしてこのガブリエルの献身と愛情が、どれほどルノワールを支えたことでしょう。椅子に座ったままの生活になったルノワールは、この翌年から絵の制作に全力を注ぐため、歩行をあきらめることになります。そのため、いよいよ家族全員の生活がルノワールを中心にしたものになっていきます。痛みを抑えるために包帯を巻いたルノワールの手に絵筆を握らせ、イーゼルの高さを調節するのも家族の仕事でした。そして、この時期、ガブリエルは本当に重要なモデルだったのです。
「絵というものは壁を飾るためにあるんだね。だから、できるだけ内容豊かにすることだ。わたしにとって、絵とは好ましく、美しく、美しいもの。そう、美しいものでなければならない!」。晩年、こんな言葉を残しているルノワールは、ガブリエルへの感謝も込めて、夢の中に咲くような美しい薔薇を2輪、作品の中のあでやかな彼女にプレゼントしたのかもしれません。
★★★★★★★
パリ、オルセー美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派
アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳 講談社 (1995-10-20出版)
◎印象派美術館
島田紀夫著 小学館 (2004-12出版)
◎ルノワール
ウォルター・パッチ著 美術出版社 (1991-02-10出版)
◎ルノワール―その芸術と生涯
F・フォスカ著 美術公論社 (1986-09-10出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)