15世紀のはじめ、北方の画家とイタリアの画家たちは、ランブール兄弟の『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』によって頂点を極めた感のある国際様式の限界を超え、大胆な歩みを始めます。しかし、両者は別々の道をたどり、イタリアの画家が新しい道…すなわち初期ルネサンスと呼ばれる道を進み始めたのに対し、北方の画家はそれまでの道をなおもまっすぐに前進し続けました。それは末期ゴシックと呼ばれ、北方ヨーロッパにおける中世の終焉は、とてもゆるやかであったと言えるのです。
そんな中で、ドイツ語圏ではネーデルラント絵画が大きな勢力を保っていました。ロベール・カンピンやロヒール・ファン・デル・ウェイデンからの影響は、同時代のケルン派の画家ロッホナーにもうかがえます。しかし、ロッホナーはカンピンの写実を踏襲しながらも、非常にやさしく美しい聖母を描き、ある意味では革新性という言葉からは無縁な画家だったように思えます。この美しい薔薇と可愛い奏楽天使に囲まれた聖母も、まだ少女のように可愛らしく、幸福感に満ちた、心あたたまる静かな表現となっています。
このころの北方では、少し変った、でもステキな聖母子像が多く描かれています。その中でもこの『薔薇垣の聖母』は「閉ざされた庭」というマリアの処女性を象徴した馴染み深いテーマで、ケルン派の傑出した画家だったロッホナーの代表作として有名です。
「閉ざされた庭」に憩う聖母マリアは、その名のとおりの緑がみずみずしい、よく手入れのされた庭に座り、お人形のように丸々とした可愛らしい幼な子を膝の上に抱いて、夢見るような視線をそっと下に向けています。それにしても、この画面全体の洗練された装飾性には、ため息が出ます。国際ゴシックの流れをくむロッホナーならでは…ということでしょうか。
国際ゴシック様式とはまさに、ここに見られるような、どちらかといえば宮廷的優美さや幻想性が特徴で、植物や鳥、動物などをありのままに美しく緻密に表現することが多かったのです。カンピンに影響された写実を、ロッホナーらしい優美さに包んで、夢のような世界を構築した秀作です。
聖母マリアは「刺のない薔薇」と呼ばれています。旧約のエデンの園に咲いていた薔薇には刺がなかったと言われていますが、アダムとエヴァが原罪を犯してから、薔薇は刺を持つようになったのです。刺の痛みは罪の痛み…聖母は原罪をまぬがれていますから、それで「刺のない薔薇」とされているのです。
聖母の後ろには、それ自体がタピストリーのような雰囲気の生垣…そこに咲く白い薔薇は純潔を、赤い薔薇は殉教者の血…すなわち受難を象徴しています。そして、聖母が被昇天したあとに残された墓には、清らかな白い薔薇が花開くと言われているのです。
★★★★★★★
ケルン、 ヴァルラフ=リヒャルツ・ルードヴィヒ美術館 蔵