ほとんどモノクロームに近い色彩の中で、長三角形や円筒形が複雑にからみあって、一種の渦を形づくっています。しかし、それはきわめて心地よい音楽的な律動にあふれた渦ですから、決して鑑賞者の心持ちを裏切ったりはしないのです。そして、それは奥行きを消した画面におそらくは深い求心性を与えていて、私たちはいつの間にかその中心部へ、作品の胎内へと引き込まれてしまうのです。よく気をつけて見たとき、タイトルのとおり、椅子に掛けた詩人らしき人の姿も見えなくはないのですが、ここではその幻想的な快さを楽しむことが大切なのかも知れません。
この作品は、ピカソ作品のうち、分析的キュビスムと言われる時代に分類されるもので、この時期のもののうちもっとも秀逸な作品の一つと言えると思います。事物の現実的外観や多様な色彩は失われ、鋭い抽象性だけが前面に感じられることで、あまり親しみを抱けないという向きもあるかと思います。しかし、ピカソはそれらを血肉化し、抽象画というよりはむしろ幻視画のような趣きにまで昇華させて、抽象画にありがちな無機的な表情ではない、快い諧調を提供してくれているのです。
キュビスムの画家たちは物の外観のみならず、正面、側面、空間と光、そして他のものとの関係などに興味を抱きました。一枚の絵の中で、これらのすべてを語るにはどうしたらいいのか….と考えたとき、物のあらゆる面を同時にカンヴァスに並べ、異なるものを重ねて描いていくことを思いついたのです。しかし、絵画的、知的な輪郭と面による抽象の一方、現実の形というものが目の前にあること….ここには確かな葛藤があります。形態が失われていくということを素人が理解することは困難でした。キュビスムが少数の専門家にだけ理解し得る限られた美学になることが、このころのキュビスムの先駆者たち、ピカソやブラックらの非常に恐れるところでもあったのです。
この三年後、1914年8月1日、フランスとドイツの間に宣戦が布告されます。翌日、大切な友人であるブラックとドランは召集されましたが、スペイン人であったピカソだけは召集されなかったのです。友人をアヴィニョンの駅で見送ったピカソは、生まれたばかりのキュビスムが完全に花開く前に起こった戦争を、どんな気持ちで噛みしめたことでしょうか。
★★★★★★★
ヴェネツィア、 ペギー・グッゲンハイム財団 蔵