生きる歓びを表すとき、シャガールはしばしば人体を浮遊させます。私たちも、あまり嬉しかったり幸せなときは、思わず飛び上がって喜んでしまいますから、シャガールの表現方法にはとても自然な親しみをおぼえます。
シャガールはこの作品について、「1915年のわたしの誕生日に、花束を持ってベラが来てくれた。この現実はわたしの中でたちまち変容し、化学変化が行われた。・・・わたしは具体的で精神的な最初の衝動・明確な事物から出発し、そして何かもっと抽象的なものに向かうのだ」と書いています。花束を持って行っただけで化学変化を起こしてしまうなんて、なんだか少し大げさな気もしますが、このアクロバティックな表現を見ると、シャガールの喜びがとてもストレートに伝わってきて、思わず微笑んでしまうのです。 びっくりしたようなベラの表情と、つつましい花束、そして鮮やかな朱色の床が印象的な、ロマンティックな作品です。
シャガールがベラ・ローゼンフェルトと知り合ったのは、女友達のテア・ブラックマンの家でした。のちに彼は、「彼女の沈黙はわたしのものだ。彼女の眼はわたしのものだ。まるで彼女はわたしをずっと以前から知っているようだった。少年の頃のわたしも、現在のわたしも、わたしの未来をもすっかり知っているようだった」と書いています。それから6年後に二人は結婚し、ベラが死ぬまでの30年間の結婚生活は歓びと幸福に満ちあふれたものだったと言われています。そんな、出逢ったばかりの二人の心情が、こちらにも伝わって来るような作品です。
ところで、この絵の床の朱色や右手の壁掛けやベッド・カバーのアラベスク的な表現には、多分にマティスの影響がうかがえます。シャガール自身が独自のレアリスムを確立するにあたっては、フォービスムのマティスのほか、ゴッホやゴーギャンといった後期印象主義の画家たちから色彩の自立的な美しさを強調する方法を学び、また現実をさまざまな角度から自由に描くキュビスムから複数の視点ということを学んだことが非常に大きかったと言われています。シャガールの非論理的なレアリスムと抒情性は、そうしたものを身につけ、そして作意的でなく解消したところに拓かれていったものなのです。
★★★★★★★
ニューヨーク近代美術館蔵