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「貢ぎの銭」(「聖ペテロの生涯」)

マザッチオ (1425-27年)

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     <聖堂内左壁面> <聖堂内右壁面>

 この作品はマタイ福音書17章24-27節を典拠とした、宗教画でありながらとても生き生きとした人間ドラマを感じさせるフレスコの大作です。

 ある時、聖ペテロは取税人たちから、
「あなたがたの先生はすべてのユダヤ人に課せられた納税の義務を果たさないのか」
と詰め寄られました。するとイエスはペテロに、神の子には貢納の義務のないことを教えながら、湖へ行って釣り糸を垂れたら、最初にとれた魚の口に二人分の税を払うのに充分な銀貨が一枚見つかる。だから、それを充てるように、と指示します。
 マザッチオは、キリストを使徒と取税人たちに囲まれた姿で描いています。どんな時にも動じないキリストの姿は、いつもながら威厳に満ちていますが、ここで私たちはこの壁面連作の主人公聖ペテロが、画面に三回登場していることに気づきます。つまり画家は、異時同図的表現を用いているのです。中央ではキリストに指示を受けるペテロ、向かって左側では魚の口の中から銀貨を取り出すペテロ、そして右側には取税人に銀貨を手渡すペテロを見てとることができます。人物が多く描かれていますが、キリストの頭部周辺に消失点が置かれ、画面全体は明快なまとまりを見せ、円環的な群像表現、美しい遠近法の使用がいかにもマザッチオらしい革新性に満ちています。
 また、ここで特筆すべきは、人物の彫塑的立体的表現でしょう。まさに呼吸する、私たちと同じ人間たちが描かれているのです。人物個々の表情はそれぞれに個性的で、その衣装の下には血の通った肉体の存在が感じられます。彫刻的群像表現、厳格なリアリズムは、15世紀フィレンツェにおいてマザッチオがはじめて実現した表現と言えるのです。中央で背中を見せる人物の足の筋肉のつき方、左足に重心を置いた立ち姿など、それまでの絵画には絶対に見られなかった、あまりにも自然な人間の姿ではないでしょうか。

 マザッチオはフィレンツェの南30キロほどのサン・ジョヴァンニ・イン・ヴァルダルノに生まれ、1422年から夭折する直前の28年までフィレンツェに居住した画家でした。間違いなく帰属とされる作品や連作はわずか4点で、このサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂内ブランカッチ礼拝堂のフレスコ壁画もそのうちに入ります。この連作は、保守的といわれるマゾリーノとの共同制作でした。マザッチオの革新性とマゾリーノの後期ゴシックの流れをくむ表現の対比を見るのもまた、楽しいかも知れません。
 しかし、この壁画の共同制作のあいだに、マゾリーノはマザッチオの影響を強く受けたと言われており、その後の作品ではマザッチオのものと非常によく似ているために、見分けがつきにくいことさえありました。20歳も年下のマザッチオにそれほどの影響を受けるとは、その力と作品の魅力のほどがうかがえます。

 ところで、この作品の本当の良さを知るには、やはり実際にブランカッチ礼拝堂に入り、身をもって壁画に囲まれる必要があるようです。向かって左上段の『貢ぎの銭』、下段の『テオフィルスの息子の蘇生と法座の聖ペテロ』、右上段の『足萎えの治療とタビタの蘇生』、下段の『シモンとの議論とペテロの磔刑』の左右二枚の壁画に囲まれることで、見る者の視野の中に作品が互いにぴたりと呼応し合う様子を感じることができるといいます。15世紀ルネサンスの最も名高いフレスコ画には、青年時代のミケランジェロもまた魅了され、聖ペテロのみごとな模写も残されています。

★★★★★★★
フィレンツェ、 カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎ルネサンス 経験の条件
        岡崎乾二郎著  筑摩書房 (2001-07-10出版)
  ◎マザッチオ―ルネサンス絵画の創始者
        佐々木英也著  東京大学出版会 (2001-12-18出版)
  ◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-03-05出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)



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