赤い壁、赤いテーブルクロス…..赤い部屋です。しかし、なんて美しく楽しく、安らかな赤でしょうか。
食卓の上には、中身が半分ほどに減ったワインの瓶が2本、そして色とりどりの果物たちがコロコロと転がっています。画面右側のメイドさんの様子を見ても、食後の後片付けをしているのがわかります。ここには食後のひとときの、穏やかな時間が流れているのです。 また、壁紙とテーブルクロスに見られる花かごを主体にした印象的な模様は、トワイユ・ド・ジュイといって、フランスの伝統的な模様です。こんなところから、この場面が、ごく普通の中産階級の家庭の様子を描いたものであることも察することができそうです。
そして、鹿の角のように見える壁紙のパターンは、窓外の木の枝の曲線に呼応しており、メイドさんのエプロンの白は、庭木の花の一色を呼び込んだようです。さらに、果物が転がり出ていることで、オレンジ色や黄色が室内から窓を超えて屋外へと繰り返され、室内の赤と窓外の芝生の緑は無理のない調和で保たれるのです。この極めて平面化された画面の中で、形態と色彩は相互に響き合い、装飾的な効果が生み出されているようです。
ところで、マティス自身、この絵について、「私が試みたかったのは、平たい色面の上に、作曲家が和音を置くように絵画を構成することだった」と語っています。マティスは、食後の安らかな雰囲気を、まるで色彩によって音楽を奏でるかのように描いたのです。
赤い色が主調低音、花の模様が主旋律でしょうか…。楽しそうに転がっている果物や庭の花たち、ワインの瓶、メイドさんの髪がつくる柔らかな曲線、そしてきっとそよそよと室内に入ってくる風の気配もまた、それぞれに自由に花模様に対応しているのでしょう。画面の中のすべてのものたちが幸せそうに、楽しげに、右に左に揺れながら、心地よいリズムを刻んでいるようです。
マティスは、ピカソと並んで近代が生んだ大画家の一人です。初めはパリで法律を学びますが、20歳のときに盲腸炎で1年間の療養生活を送り、ここで画家になる決心をします。療養中、母親から与えられた油絵具が彼のその後の運命を決定づけたのです。そういうわけで、彼の画家としての出発は比較的遅いほうだったのかも知れません。しかし、アカデミー・ジュリアンでブーグローに、そしてエコール・デ・ボザールでモローらに学び、ここでルーヴルでの模写を勧められるなど貴重な指導を受けます。そしてルオーやマルケと出会い、やがて後期印象派からフォーヴの時代に、さまざまな様式に翻弄されながらも、絵画の上での自己形成を遂げていくのです。
大きな色面で画面を構成し、色彩の感覚を大切にした独創的な絵画がマティスの手で実現されていきました。この作品も、1908年のアンデパンダン展では、単に『食堂のための装飾的パネル』というタイトルで出品されていたそうです。画面全体が装飾のように見えるマティス作品ならではのことだったのでしょう。そう言えば、マティスはこの時期、同じように装飾的で曲線の多い作品を集中して制作しています。そして、この『赤い部屋』も、最初は緑、次いで青、そして最後に赤に塗り替えられたものだということがわかっています。フォーヴの名残をとどめながらも、マティス独自の様式が開花し始める、試行と実験を繰り返した時期の重要で美しい作品です。
★★★★★★★
サンクト・ペテルブルク、 エルミタージュ美術館 蔵