一年を通して比較的お天気に恵まれないオランダの人々にとって、光を採り入れるための窓の存在はとても大きなものでした。だから、オランダの室内画には、頻繁に窓が描かれたのでしょう。フェルメール家の窓も、天地が85㎝ほどで2段になっています。
そんな清らかな窓からの午後のやわらかな陽を受けながら、一人の女性が熱心にヴァージナルの稽古をしています。傍らで見守るのは教師と考えるべきか、彼女の恋人の士官と見るべきか、作者のフェルメールはそのへんを、あえてはっきりとは語っていないようです。あからさまな表現をすることなく、見る側に判断をゆだねるのがフェルメール流ということなのでしょう。
そんなことよりも、画家の興味はただひたすらに、奥行きの深い室内空間の、その一番奥に人物がたたずむという構図の目新しさに向けられていたようです。それまでのフェルメール作品に見られなかったこの構図は、女性が背中を向けることにより、より強調されているようです。彼女と私たちの視点の距離は、実際よりもぐっと離れて感じられて、部屋の広さも尋常ではない感覚です。
この距離感を手伝っているのは、床のタイルの表現の巧みさかもしれません。正確な遠近法表現には、ルネサンスの時代から、しばしば床が利用されてきました。ピエロ・デッラ・フランチェスカ作品などはその好例でしょう。フェルメールもまた、床のタイルを好んで描きました。
ただ、この表現に行き着く前、フェルメールは透視法の原則を真正直に守ってしまったため、やや失敗をおかしていました。正確であるがために、「紳士とワインを飲む女」や「二人の紳士と女」などのように、右端の、壁に近い箇所の床が歪んで、かえって不自然な表現になってしまっていたのです。そこで、この作品では画面の右に重いクロスを掛けたテーブルを置き、床を隠してしまったのです。この配置によって作品は安定し、完璧な深い空間が出来上がったというわけです。
しかし、彼女との距離があればあるほど、また、背中を向けていることで、私たちの目はかえって女性に惹きつけられてしまいます。穏やかな光に包まれた静謐な室内は、フェルメールによって創られた不思議な空間となり、すべてが彼女の背中一点に収斂されていくようです。
ところで、フェルメールは楽器を演奏する女性像を好んで描いています。ここにも登場したヴァージナルは、小型のチェンバロの一タイプです。アントワーヌのリュッカース一族が製作した「ミュゼラー」というヴァージナルは鍵盤が楽器の右寄りにあるタイプで、蓋には豪華な模様が施されており、ここに描かれているのも同様の型のように思われます。別にフランス語で「エピネット」と呼ばれることもありますが、そちらのほうが馴染みのある方もいらっしゃるかもしれません。
それにしても、フェルメール家では誰が弾いたのだろう…と、ふと、フェルメールの子煩悩な父親の顔が垣間見えるような気もするのです。
★★★★★★★
バッキンガム宮殿、王室コレクション蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎フェルメール―大いなる世界は小さき室内に宿る
小林頼子編著 六耀社 (2000-04-19出版)
◎フェルメールの世界―17世紀オランダ風俗画家の軌跡
小林頼子著 日本放送出版協会 (1999-10-30出版)
◎フェルメール
黒江光彦著 新潮美術文庫13 (1994-09-10出版)
◎芸術新潮 特集フェルメール ―あるオランダ画家の真実―
小林頼子解説 新潮社 (2000年5月号)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)