非常に知的で、まるで彫刻のような造形を有した顔立ちは、レオナルドならずとも写し取りたいという意欲をそそられたことでしょう。
だから…..でしょうか。レオナルドの筆は、彼の顔と美しい巻き毛にのみ振るわれたようです。赤い帽子と衣服は、弟子によって描かれたものだと言われています。
緻密で独特なうねりを見せる巻き毛は、一目でレオナルドの筆致とわかります。天使や聖母の髪にも、また洪水の逆巻く波にも、この細密画のような渦巻きが見られるのです。
この作品は、レオナルドがミラノに残した唯一の板絵です。31歳でフィレンツェを離れ、当時、決して芸術の中心地とは言えなかったミラノへ移ったレオナルドは、「岩窟の聖母」「最後の晩餐」などの代表作を次々に制作しました。さらに美術だけでなく、祝祭や軍事防衛の熟練者としてスフォルツァ家の宮廷で活躍したことで、この時期がレオナルドには一番の輝かしい時代だったと言えるのかもしれません。
1499年、ミラノはフランス軍に侵攻され、レオナルドはフィレンツェへ戻ることになります。
この肖像画が未完に終わったのは、そんな事情もあってのことだったのか、画家自身の事情だったのか、そのへんは定かではありません。そのためか、レオナルド自身の作かどうかの論争もあったようでしたが、やはり、この美しい巻き毛や優美な指、厳しい構成力から、今ではレオナルドのものと確定されています。
モデルは、右手に楽譜を持っていることからも、ミラノ大聖堂の合唱隊長だったフランキーノ・ガッフリオと推定されています。レオナルドの現存する男性肖像画はこの一点だけですから、それだけに画家の思い入れが実感されます。
レオナルド自身も優れた音楽家でした。画家は飽くまでも職人とみなされ、文学者や音楽家とは同じ知的水準にあると考えられていなかった時代、絵画が他の芸術よりも優れていると信じて疑わなかったレオナルドの、強い意志が伝わるような印象深い肖像画です。
★★★★★★★
ミラノ、アンブロジアーナ絵画館蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001/02出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)