窓から射し込む光に満たされた美しい食堂に立つ素朴な女性は、真っすぐにこちらを見詰めています。手にしたスプーンと器、傍らの棚の下の扉も開け放たれたままで、彼女がいま忙しく立ち働いている最中であること、声をかけられたのか、ふっとこちらに視線をとめた瞬間であることが伺えます。
ベルト・モリゾ(1841-1895年)の作品は、展示室の片隅にあってもすぐにそれとわかります。独特の荒いタッチと絵の持つシルエットがモリゾの作品であることを物語ってくれるからです。作品から放たれる穏やかなオーラが、自然に見る者を引きつけます。ベルト・モリゾの描く世界は、決して見る者の期待を裏切ることはないのです。
まだあどけなさの残る可愛らしい女性は、おそらくベルトの家で働いていたお手伝いさんであったと思われます。ベルトは結婚前も後もお手伝いや乳母を雇えるブルジョワ階級の女性でしたから、幼いころからそうした人々を見てきました。
ベルトはエドヴァール・マネの弟ウジェーヌと1874年に結婚した後、娘ジュリーにも恵まれ、いっそう充実した制作を続けましたが、そんな中でしばしば責任感を持って働く女性をテーマに選びました。ところがそれまで、そんな絵画作品はなかったのです。多くが男性画家であったという事情も大きかったのでしょうが、女性はいつも描かれるだけの対象であり、誇りを持って自立した存在とはみなされなかったようです。働く女性が描かれても、それはどこかうらぶれて、貧しさにあえぐ女性たちばかりだったのです。
しかし、ベルトの作品の中で、彼女たちは生き生きと、そして爽やかに輝いています。ベルトは労働に従事する女性たちを真正面から美しく捉えました。これには、ベルト自身の内面の充実が投影されているのかもしれません。みずからも画家として働く女性だったベルトは、純粋に仕事にいそしむ女性たちに深い共感を覚えていたのではないでしょうか。
このころベルトは家族とともにパリに新居を構え、毎週木曜日にはかつて彼女の母がそうしていたように友人たちを招いて夕食会を開き、さまざまなアーティストたちと積極的に交流するようになっていました。師とも仰いだマネの死、そして印象派展の終焉という大きな転機を迎えていたこの時期、もしかするとベルトはあらゆる束縛から解き放たれ、本当に自由に画家としての新境地を踏み出すことができたのかもしれません。
★★★★★★★
ワシントン、 ナショナル・ギャラリー 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎マラルメの火曜会―世紀末パリの芸術家たち
柏倉康夫著 丸善 (1994-09-30出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派美術館
島田紀夫監修 小学館 (2004-12出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎ベルト・モリゾ―ある女性画家の生きた近代
小学館 (2005-12出版)