甲冑を着けた若者が、一本の木の下で眠っています。彼は夢を見ているのです。両側の女性たちは、夢の中の登場人物たちに違いありません。若者は、小スキピオと呼ばれていました。
スキピオ・アエミリアヌス・アフリカヌス(紀元前185-129年)は、共和政ローマ期の軍人であり、カルタゴの破壊者としても知られています。第二次ポエニ戦争で活躍したスキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)と区別するため、小スキピオと呼ばれます。大スキピオの養子縁組によって、彼の孫に当たります。
小スキピオは第三次ポエニ戦争時、カルタゴの三重防壁を破るために派遣され、カルタゴを陥落させています。繁栄したカルタゴが滅亡するさまを目の前にして、「ローマもいつか滅びるのだろうか」と嘆いたと言われています。
しかし、歴史上の人物を扱いながら、この作品は決して歴史画ではありません。むしろ、教訓的寓意画と見なすべきものなのです。木を挟んで左右に立つ二人の女性を見ると、全く対照的な印象であることがわかります。
一人は、質素な身なりに剣と書物を持ち、スキピオに差し出しています。彼女の背景には堅固な要塞と、ごつごつした岩山が描かれ、武人としての心得が象徴されているようです。つまり、剣は力、書物は知識ということなのでしょう。彼女は「文武」の象徴なのです。
一方、向かって右側の女性は、美しく身を飾り、スキピオに白い花を差し出しています。背景も、穏やかでなだらかな、幸福感に満ちた風景です。魅惑的な彼女は、官能性の象徴なのでしょう。武将にとって、これは好ましからざる誘惑ということのようです。
この二人の擬人像は、文武両道の大切さはわかっていても、人間は誘惑に弱いものだと語っているのでしょう。つまり、「指導者たる者、快楽の誘惑に屈せず、武術と勉強に励むべし」という寓意なのです。ですから、主人公はいちおう小スキピオなのですが、タイトルはあえて「戦士の夢」となっているわけです。
しかし、ルネサンス期の人文主義者たちは、その古くからの解釈に変更を加えています。すなわち、官能的快楽も瞑想的生活もそれぞれ神様からの贈り物なのだから、ルネサンスを生きる調和のとれた完全な指導者たちには、どちらの要素も必要なものだ、というものです。これは、殊に文芸の保護者たちを念頭に置いたもののようですが、ラファエロはこの作品の中で、魅惑的な擬人像に夫婦間の忠節を象徴するギンバイカの花を持たせ、飽くまでも慎ましく貞節な女性像を表現し、作品に透明感を与えているのです。
盛期ルネサンスの三大巨匠の一人ラファエロ・サンツィオ(1483-1520年)は、画家ジョヴァンニ・サンティオの息子としてウルビーノに生まれました。少年時代に父が病没したため、16歳のころには一人前の工房の親方として活躍していました。
この作品は、そんな彼がちょうどフィレンツェに移り住んだ1504年から05年にかけて描かれています。これから、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの芸術を吸収し、優美で明晰な独自の画風を確立していこうとする以前の、まだ若々しい感性が息づく作品です。
17㎝四方の小さな板絵であることが信じ難いほどの色鮮やかで澄明な画面からは、人々を楽しませるために絵を描いているんだ、と言い続けた早世の巨匠の、真摯で溢れるほどの意欲が、どこかぎこちなく、初々しく伝わってくるようです。
★★★★★★★
ロンドン、ナショナル・ギャラリー 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001/02出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)