218×152㎝の大画面は、どこか異世界的です。しかし、心地悪いものではありません。たくさんの動植物が描き込まれ、それはまるでフランドル絵画のように細密で、くっきりとして、遠くの風景までが一点の曇りも感じさせません。
憂いをふくんで立つ騎士の足もとには、白貂が描かれています。そして、「汚れよりも死を」と書いた紙が添えられていますから、当時、ナポリにあった白貂騎士団との関わりを感じさせます。剣に手をかけ、今まさに抜こうとするかのようにポーズをとりながら、騎士の心は他の場所に飛んでいるかのようです。
それにしても、この人物の黒の甲冑の見事さと美しさには目を奪われます。磨き込まれた甲冑の胸のあたりには周囲の風景が映り込み、その光の扱いからも、作者ヴィットーレ・カルパッチョ(1460/65-1526年)の技量をいやおうなく実感させられるのです。
カルパッチョは、物語画を得意としたヴェネツィアの画家でしたが、一方で、肖像画家としても高い名声を誇っていました。この作品は、その中でも最高峰に挙げられるものです。当時、既に没落しつつあった騎士道の時代の終焉を象徴するようなこの作品には、孔雀や、上空で闘う鷹とサギなど、死を暗示する動物も多く描き込まれ、一見にぎやかだけれど、不思議に物悲しい雰囲気に包まれているのです。
そんな作風に呼応するかのように、カルパッチョに関する資料は乏しく、その様式形成には諸説があります。ある意味で、彼は謎の画家なのです。しかし、それでも、ヴェネツィア派、ウルビーノ、フェッラーラ、さらにフランドルの絵画に至るまで、さまざまな画派の影響を見てとることができることから、彼の柔軟な感受性を感じることができます。おそらくは、ヴェネツィアの大きな絵画工房の親方であったラッザロ・バスティアーニの弟子であったことは間違いないと言われています。
カルパッチョのつくる画面は、いつも正確な遠近法で支配されています。さらに、ジョルジョーネを思わせるような抒情性と色調の調和、精密な描写によって、他の画家とは一線を画す幻想的な世界を描き出したのです。それがさらに、カルパッチョという画家に、謎めいたヴェールをかけているかのようです。
ところで、ここに描かれた人物は、後にウルビーノ公となるフランチェスコ・マリア一世・デッラ・ローヴェレであろうと言われています。この作品は、フランチェスコがちょうど20歳のときの肖像であり、まだ若々しい青年騎士として描かれています。そして、興味深いことに、盛期ルネサンスを代表する巨匠の一人、ラファエロの描いた15歳のときのフランチェスコの肖像というのも残っていて、見比べてみるのも面白いかもしれません。このすぐ後には、非常に残忍な王として歴史に名を残すことになるフランチェスコですが、このころはまだ、清冽な印象を与える若者だったようです。
この作品には、右端の紙面に署名と年記を見てとることができます。ところが、1850年に修復するまでは、この署名が発見されておらず、長い間、デューラーの作品と考えられていました。そのことから、カルパッチョの緻密な描写、自然観察への徹底した姿勢が、神の手を持つと言われたドイツ・ルネサンスの巨匠にさえ通じるものがあったことを実感させてくれるのです。
★★★★★★★
マドリード、 ティッセン=ボルネミッサ美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社(1989-06出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001-02出版)
◎ルネサンス美術館
石鍋真澄著 小学館(2008-07 出版)