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「黄道十二宮」

アルフォンス・ミュシャ (1897年)

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 牡羊座、牡牛座、双子座……。太陽の通り道である黄道を12等分し、動物の名のついた星座を配した十二宮がそのまま円形枠のモティーフとなって、美しい女性の横顔を引き立てています。
 流れるような装飾的な髪が生き物のようにうねるビザンティン風の頭部には、金銀細工の飾りが揺れています。枠の外側の月桂樹の葉やツタの文様は、当時のミュシャが女優サラ・ベルナールのためにデザインしたポスターを彷彿とさせます。
 この作品は最初、室内用のカレンダーとしてデザインされました。十二宮は一年の12カ月に対応することから、暦のモティーフとなっているのです。それが、プリュム芸術出版社社主のレオン・デュシャンの目にとまり、「ラ・プリュム」誌のカレンダーとしても売り出されたのです。デュシャンは、当時、優れた画家たちを見出すことに長けた人物でした。

 ミュシャは、典型的なボヘミアンだったと言われます。ボヘミアに生まれ、ウィーン、ミュンヘン、パリ、さらにアメリカにまで放浪の旅を続けたのですから、確かにそうなのかもしれません。
 「ボヘミアン」という語感からは、一種独特の暗さや濃厚な魅力とともに、破滅的な香りも漂います。しかし、ミュシャには、それがありませんでした。彼には、チェコ出身の妻以外の女性の影が感じられず、人生を破壊するような恋愛とは無縁な印象を受けるのです。
 ただ、パリ時代、ベルト・ド・ラランドという女性と生活を共にしていたとも伝えられています。しかし、ミュシャは、妻マルシュカとの結婚の前に彼女の痕跡を全て消し去ってしまったようで、今でもベルトがお針子だったのか食堂のウェイトレスだったのか、その素性すら定かではないのです。
 ただ、ミュシャの描く女性たちは、パリで成功したころから、すでに、パリジェンヌのイメージとは違っていました。その美しく妖しい魅力をたたえた女性たちは、どこか東洋的でエキゾティックであり、ふくよかな優しさを感じさせます。もしかすると、少年時代を過ごしたモラヴィアやボヘミアで見た少女たちの面影を描いていたのかもしれません。
 「ボヘミアン」という言葉は、ジプシーのように自由奔放な生活を送る芸術家を意味していました。ボヘミアが、ヨーロッパを放浪するジプシーの故郷とされていたからです。だとすれば、ミュシャはやはり、正真正銘のボヘミアンだったと言えるのかもしれません。

 この作品は、シャンプノワという印刷業者と専属契約した直後の、最初の作品でした。シャンプノワはレオン・デュシャンと並んで、ミュシャのグラフィック・アートの制作に大きく貢献した人物です。
 ミュシャは、シャンプノワの依頼で、季節、花、宝石などをモティーフとした四部作の装飾パネルやカレンダー、本の挿絵、表紙などを数多く制作しています。それは、私たちの知る最もミュシャらしい、輝かしく美しいアール・ヌーヴォーの代表者としての時代を謳い上げる作品たちでした。

★★★★★★★
東京、ドイ・コレクションほか 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
  ◎アルフォンス・ミュシャ波乱の生涯と芸術
       ミュシャ・リミテッド編・島田紀夫監訳  講談社 (2001-09-15出版)
  ◎アルフォンス・ミュシャ―アール・ヌーヴォー・スタイルを確立した華麗なる装飾
       島田紀夫著  六耀社 (1999-12-10出版)
  ◎週刊美術館 5― ミュシャ/ビアズリー
       小学館 (2000-03-07発行)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也訳  講談社 (1989-06出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)

 



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