アメリカは不思議な国です。広くてパワフルで陽気で、あらゆる夢を実現できる可能性を秘めていながら誰もがふと、どうしようもない孤独感に襲われた経験を持つ国でもあるといいます。
そんなアメリカの、どこにでもある小さな町の早朝風景です。まだ、誰も目覚めていない静かな朝に、清らかな光が左側から射し始めたようです。画面は水平なアングルに支配され、そこに点々と、消化器や理髪店の青と赤の縞が入った円柱が配されて、長い影を落とすばかりです。
しかし、ここはまるでゴーストタウンのようです。これから人々が目覚め始めて、通りを行き交うようになり、当時の常として、理髪店が一種の社交場のように活気づき、陽気な話し声や笑い声が聞こえ始めるとは、何となく想像がつきません。この光もこの時間も、永遠に止まったままではないかという思いにとらわれてしまうのです。
1920年代のアメリカは、経済の繁栄のさなかにあり、人々は華やかな時代を謳歌していました。ところが、1929年10月24日の「暗黒の木曜日」として知られる株価の大暴落とともに時代の空気は一変し、人々の心は言い知れぬ空虚感と喪失感に支配されていきました。
そして、人々は古きよき時代への郷愁にこそ救いを見出すようになります。何気ない小さな町の早朝風景の静けさに、物悲しさと懐かしさを感じて惹かれた人も多かったに違いありません。電車の窓が並ぶように同じパターンが繰り返された通りの中で、唯一、理髪店の円柱だけが少し傾き、かすかに風を感じさせてくれるようです。
エドワード・ホッパー(1882-1967年)は、ハドソン川のそばのナイアックという小さな町に生まれました。1900年から06年までニューヨークのチェイス美術学校で写実主義の画家ロバート・ヘンライに学び、1906年から10年まで、パリ、アムステルダム、ロンドンを旅行しています。帰国すると、ワシントン・スクウェア・ノースに住居兼アトリエを借り、ここで死ぬまで生活と制作を続けることになります。
ホッパーは最初、イラストレーターとして出発しますが、この仕事をあまり気に入っていなかったのか、1924年ごろから絵画制作を再開します。彼はよく、アメリカの都市の人間模様を主題としたリアルな描写を特徴とする「アメリカン・シーン」の画家の一人と見なされます。しかし、画家自身にはそんな意識はなく、自己表現をしているに過ぎないとコメントしています。
しかし、ホッパーを評するとき、多くの学者や美術史家は、「彼の作品は30年代から40年代のアメリカの文化を見事にとらえている。なんの変哲もない都会の日常生活のプライベートな空間を、盗み見るような手法で表現している」と語っています。画家の意識と人々の評価のズレはさておき、ホッパーはいつも街の一角をテーマにとり、そのなかに少数の人物を配して孤独や憂愁、静かなメランコリーを表現し続けました。
そして、ホッパーのもう一つの大きな特徴は、ニューヨークのような大都市の象徴である、縦の視点から見た摩天楼群を描くことがなかったことです。建物の壁を大きなマッスとして描き、光と影の効果を巧みに使って、一種独特な世界観を構築していったのです。この作品でも、どこにでもあるような小さなお店が横に並び、ホッパー好みの風景となっているのです。
ところで、ホッパーの作品の特異性は、どこかシュルレアリスム的な静けさを内包していることです。40代になるまで、なかなかその才能を認められなかった画家は、190cm以上の長身で、無口で、人を寄せ付けない孤高の雰囲気を持っていたといいます。厳しい大学教授のような風貌と、生涯、妻と二人で同じアパートに住み続けたという逸話から受ける彼の印象は、ちょっと難しい人….という感じでしょうか。そんな人柄が、作品に独特の味付けをしているのかもしれません。
画家の自己表現たる作品には、いつも「アメリカン・シーン」という一言ではくくれない独特の個性と孤独と、アメリカ文学の挿絵のような不思議な懐かしさが秘められているようです。
★★★★★★★
ニューヨーク、 ホイットニー美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社(1989-06出版)
◎西洋絵画作品名辞典
木村三郎,千足伸行,森田義之,島田紀夫,千葉成夫編集 三省堂(1994-04出版)
◎西洋名画の読み方〈2〉19世紀中期から20世紀の傑作180点
ジョン・トンプソン著 神原正明監修 内藤憲吾訳 (大阪)創元社 (2008-09-10 出版)