イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムで
お生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の
方からエルサレムに来て、言った。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこに
おられますか。わたしたちは、東方でその方の星を見た
ので、拝みに来たのです。」
これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。(中略)
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が
先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入って
みると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ
伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を
贈り物として捧げた。ところが、
「ヘロデのところへ帰るな」
と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの
国へ行った。
(マタイによる福音書2章1~12節)
このクリスマスの物語は、マタイとルカの福音書の中にしか出てこない、本当にささやかな逸話でした。それが変遷を重ねながらも普遍の物語となって、私たちの心を捉え続けています。何度聞いても懐かしく厳かな、美しい聖夜の出来事なのです。
美術の中における三人の学者たちは、西暦200年ごろからは「王」と呼ばれ、多くの従者を従えるようになります。彼らは、流れ星によって導かれてきました。画面上部の岩山に、その痕跡が見られます。
中央で横たわるのは、出産間もない聖母マリアです。天使たちに祝福され、羊飼いたちに見守られ、聖ヨセフとともに三博士を迎えているのです。
二人の博士は、贈り物を手に待機しています。そして、最年長の博士は幼子イエスの礼拝の真っ最中。謙譲を表すために冠を脱ぎ、ひざまずき、飼い葉桶から布にくるまれたイエスを抱き上げているのです。
しかし、貧しく、旅の途上にある聖家族の様子は、驚くほど写実的です。博士たちの豪華な出で立ちと引き比べ、何一つ持たぬ、生まれたばかりのキリストの姿は、困難に満ちた生涯を、すでに感じさせるものとなっています。
この作品は、イタリア中世最大の画家ジョット(1267-1337年)が、フランシスコ修道会に属する教会のために描いた祭壇画の一部と言われています。一見、地味なパネルですが、ジョットの革新性はみごとに見る者の胸を打ちます。
それは、幼いイエスの寝る飼い葉桶が、隆起した地面の上に、じかに置かれていることからも明らかです。ここには何の装飾も、夢のようなベッドもないのです。その向こうにはロバと牡牛がウロウロと礼拝の様子を見守り、ここは確かに、幼子が安らぐには余りに過酷な場所なのです。
フランシスコ修道会は、礼拝者に対して、できるだけ写実的な方法でキリストの生涯を示したことで知られています。そんな会の方針は、ジョットの持つクリアな空間意識とピッタリと合致したようです。
さらに、みごとなのは、一見、硬い表情の人物たちの、それぞれの個性が生き生きと表現されている点です。聖母と聖ヨセフ、三人の博士はもとより、フランシスコ修道会の僧服を着、犬を連れた羊飼いたちまでも、血のかよった人間らしい、それぞれの表情で描き分けられているのです。
ジョットは、繁栄の頂点に達していたフィレンツェの政治経済力を背景に、それまでにない大規模な工房を経営していたと見られています。多くの弟子や助手を駆使して、さまざまな注文に応じていましたから、この作品にも、たくさんの助手の手が入っていると言われています。
★★★★★★★
ニューヨーク、メトロポリタン美術館
ジョン・スチュワート・ケネディ基金 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋名画の読み方〈1〉
パトリック・デ・リンク著、神原正明監修、内藤憲吾訳 (大阪)創元社 (2007-06-10出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001/02出版)
◎ルネサンス美術館
石鍋真澄著 小学館(2008/07 出版)