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「豆の王様の祝宴」

ヤーコブ・ヨルダーンス (1635-40年)

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 狭い部屋にギュッと詰め込まれた人々の、笑い声や歌う声が聞こえてきそうな場面です。陽気に飲み食いする人々が画面にひしめく中、やや度を過ごしてひんしゅくを買いそうな人物もいるようです。

 これは、16世紀、17世紀のスペイン統治下のネーデルラントで大変人気のあった公現祭、もしくは十二夜の祝宴の一こまです。
 彼の地では、1月6日に1粒の豆をケーキに隠して振る舞うという慣わしがありました。その豆を発見できた者は、誰であろうと祭りの間、戴冠された王様の役を演じたのです。この祝祭は、各家庭で催されていたようです。
 王になった者は、王女、酌取り、演奏家、医者などの「廷臣」を指名することになっていました。彼の家族や友人たちは、この幸福な即興劇に参加して楽しみました。
 過度の飲酒や暴食や喫煙は、普通ならば道徳的な非難の対象でしたが、この日ばかりはそれも人々の喜びであり、ヨルダーンスはこの祝宴の様子を繰り返して描いています。

 今、人々は「王が飲む!」と叫んで、みずからも杯を上げています。それは、このバカ騒ぎの決まりだったのです。それをしなかった参加者は、顔に黒い印をつけられることになっていました。
 この「王が飲む!」という叫びには意味がありました。17世紀の伝説によると、キリスト誕生のベツレヘムの馬屋に始まると言われています。おさなごイエスが聖母マリアの「神聖なる乳房」を吸っているのを見た東方三博士が、「王が飲む!」と叫んだことに端を発しているのです。人々の祭りが、やはりキリスト教と深いつながりがあることを実感させる一こまではあります。

 ヤーコブ・ヨルダーンス(1593-1678年)は、アントウェルペンに生まれ、終生同地で活躍した画家でした。彼はルーベンスの師でもあったファン・ノールトのもとで画業を学び、1615年に親方画家となっています。
 彼は生涯、市井の画家として活躍しています。その点、同時代の典型的な宮廷画家ヴァン・ダイクとは異なる道を歩いたと言えます。イタリアに赴いて、古代及びルネサンスの美術を学ぶということもありませんでした。
 しかし、そんなヨルダーンスだからこそ、独特な生命感の充溢を感じさせる人物画を描きました。主にルーベンスの人体表現から多くを学んだと言われ、女性像など、ルーベンスに近い肉感的な表現も見られますが、総じて、古代彫刻への関心の欠如のためか、整った理想的形態からはかけ離れていました。しかし、そこがまた独特なヨルダーンスらしさと言えるのです。
 ヨルダーンスは、巨匠ルーベンスとヴァン・ダイク亡き後、フランドルを代表する画家として、オランダやイギリスの宮廷のためにも制作しました。
 しかし、彼が最も彼らしい才能を発揮したのは、やはりこうした民間行事やフランドルのことわざなどを描き出した風俗画の分野だったのです。この主題は当時、人々に喜びをもって受け入れられました。
 
 ところで、道徳家たちは、十二夜の祝祭でも行儀よく振る舞うように民衆を説得したといいます。しかし、もちろん人々は、そんな説得など、意に介さなかったようです。
 ヨルダーンスは果たして、ここに描かれたような行為を非難していたのでしょうか。それとも、けっこう自分も楽しんで容認していたのでしょうか。バカバカしさ全開のひとときではありますが、家族たちの団欒風景を画家自身も祝福している、と見るほうが自然かもしれません。

★★★★★★★
ウィーン美術史美術館 蔵

<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋名画の読み方〈1〉
       パトリック・デ・リンク著、神原正明監修、内藤憲吾訳  (大阪)創元社 (2007-06-10出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社(1989-06出版)



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