嵐の海の上で、一隻の船が翻弄されています。
ターナー独特の、画面に薄いヴェールを一枚かけたような、激しいけれど美しい作品です。ここには、ただ単に眺められた風景ではない、嵐のただ中の逆まく大自然が描かれています。つまり、大自然の存在そのものが、それも刻一刻と変化する一回的な風景が描かれているのです。
ターナーはこの作品を描くために、船員に頼み込んでマストに体を縛りつけてもらい、4時間もの間、そのまま描き続けたといいます。はっきり言って、自虐的だし、異常な行動です。でも、その時、ターナーにはどうしても、そうする必要がありました。彼は風景は風景でも、瞬時の風景に惹かれ続けた画家だったからです。
19世紀を代表する風景画家の一人であるターナーは、その生涯において、非常に多くの旅行をしています。18世紀末から1851年に没するまでの半世紀ほどの間に、国内、ヨーロッパを含めて30回近く旅行をしているのです。もちろん、今日の常識からすれば全く問題にならない回数なのですが、飛行機はなく汽車も不十分だった当時としては、これはたいへん異様な回数でした。
これには、ターナーの孤独癖、人間嫌いといった性格も影響しているのかも知れませんが、何よりも風景との一体感を求めて旅を重ねたのではないかという気がします。
この作品からも感じられるのは、客観的な風景ではなく、風景以上の激しい力を感得させようとする迫力です。こうした一回限りの風景、瞬時の風景を求めて、彼は旅を続けたのではないでしょうか。
ターナーが自然の暴力ともいうべきテーマに、わりと偏執的に固執し続けたのも、一瞬の確かな手応えや自然との一体感を追い求めてのことだったと思います。
明るい色彩、微妙な陰影を持つ美しい作品をたくさん残しながら、ターナーは眼に見えるものを個別な物の集まりではなく、色彩によって溶け合わされた切れ目のないものとしてとらえ、描いています。人間嫌いと評判だった彼は、そんな色彩の世界の中に、自分自身をも溶け込ませてしまう瞬間を愛していたのかも知れません。
ターナーはこの作品について、
「この絵を好きになる権利は誰にもないのだ」
と語っています。
★★★★★★★
ロンドン、テイトギャラリー蔵