この生き生きと魅力的な女性像は、対画となる夫婦像の一対と思われます。この二連画は、当時の中産階級の市民像をよく表した秀作としても知られています。肖像画が王侯貴族から市民階級へ普及してきたことを示す最も早い作例の一つでもあるのです。
年若い妻と年かさの夫は互いに見つめ合い、圧倒的な存在感で坐しています。精緻な描写はあらゆる細部にまでわたり、白い頭巾にあしらったピンの表現は、この後、多くの画家たちによって継承されていくことになります。
作者のロベルト・カンパン(1375/95-1444年)は、かつて「フレマールの画家」と呼ばれていました。初期フランドル絵画の代表的作品である「聖母子」、「聖女ヴェロニカ」、「聖三位一体」の三枚の板絵が長く「フレマール・パネル」と呼ばれ、作者は特定されていませんでした。それが研究の結果、20世紀初頭になって、ロベルト・カンパンその人が「フレマールの画家」と同一人物であると結論づけられたからです。つまり、ロベルト・カンパンの名が「フレマールの画家」に代わって美術史に登場するまでには、なんと500年の時が必要だったのです。
カンパンは、初期ネーデルラントにおいて、ファン・エイク、ウェイデンに先行する画家という位置にいます。彼の作品は、天才ヤン・ファン・エイクの完成度には及ばないものの、現実を忠実に描写することにかけては抜きん出ていたと思われます。彼の多くの宗教画は中世的で、どこか堅く、ぎこちなさが残るものでした。しかし、こと肖像画に関しては、人が違ったように…という表現はカンパンに失礼ながら、信じ難いほどに人物の人間性、その真実にまで迫るほどに魅力的なものだったのです。
カンパンに関する最初の記録は1423年、現在のベルギー東部にあるトゥルネという街の画家組合長になった、というものです。彼の功績は彼自身の画業よりも、もしかすると、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンやジャック・ダレなどの弟子を育てたことかもしれません。彼らはカンパンのもとから、やがてさらなる飛躍を遂げていくこととなります。
ところで、「フランドル」がどの辺りかということは、意外に正確には知られていないかもしれません。
15世紀、現在のオランダ、ベルギー、北フランスの一部を併せた地域が「ネーデルラント(低い土地)」と呼ばれていました。その南に、ブリュージュを随一の大都市とするフランドル伯領と呼ばれる地方があったのです。15世紀前半、このフランドル伯領を中心とする地域に、かつてない豊かで魅力的な絵画芸術が開花しました。15世紀の南ネーデルラント絵画が「初期フランドル絵画」と呼ばれるのは、こうした経緯があったからなのです。
宮廷都市ブリュージュで、ブルゴーニュ公国の宮廷画家として活躍したヤン・ファン・エイクに対し、ロベルト・カンパンは地方都市のトゥルネで画家組合長をしており、典型的な職人画家としての道を歩みました。そんなカンパンだったからこそ、現実世界に生きる人々への親しみは強かったに違いありません。見たことのない神様や聖母子より、日常生活を生き生きと営む人々の肖像こそ、彼の最も興味あるテーマだったのかもしれません。
★★★★★★★
ロンドン、 ナショナル・ギャラリー 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎ルネサンス美術館
石鍋真澄著 小学館(2008/07 出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)